この日記は全てノンフィクションであり、登場する人物・団体名などは全て実在のものです。
2月
2月29日(月)曇り時々雪
昨日はぽかぽか陽気だったのに今日は雪がちらほら。今年の冬はわけがわからん。

今日も飛び回ってくたびれた。最近は通常の仕事に加えて兄貴の施設のことや会社設立のことでも動きまわらなければいけないのでかなり目まぐるしい日々を送っている。でもがむしゃらに動きまわってる方がどうも性に合っているようだ。心身ともに充実している。

2月の最終日は筋トレ。今月のランは118.5キロだった。1年で最もつらい2月が終わってほっとしている。これからは徐々に走りやすくなっていくので楽しみだ。

「多事」

とりあえず 多難は多事に 癒されて

2月27日(土)曇り
星香園」の牛島さんの結婚式に出席した。
2012年11月にお父さんが亡くなって後、お店は長男さんがあとをついで立派に経営されている。そして今日めでたくご結婚。新たな世代の「星香園」は盤石の体制となった。
若い夫婦の幸せそうな笑顔を見てると感無量だ。この光景をお父さんも見たかっただろう。いや、それとも一緒にいて見守っていたのか?
式場で見せる笑顔がお父さんそっくりで、ワシは涙をこらえるのに苦労した。
乗り越えがたい悲しみも、その後にこうして新しい幸せが必ず生まれるから、人は強く生きていかないといけないんだな。
お二人には幸せになって欲しい。そしてこれからの時代を作って欲しい。



「笑顔」

祝宴の 笑顔あの日の 牛島さん

2月19日(金)曇り
不動産の仕事他もろもろで対馬日帰り帰省
毎回帰るたびに思うがなんと活気のない街だろう。通りを歩いている人がいない。たまに見かけるのは韓国人観光客のみ。人口は減る一方だが、この活気の無さがおそらくそれに拍車をかけているのだろう。
このままでは非常にまずい。衰退の歯止めがきかない。屋久島のように離島でもたくさんの観光客が来るように改善する方法はなにかあるはず。
ワシらが高校生の頃ぐらいまでは活気があったが、あの頃のようにまた島が元気になる方法をみんなで意見を出し合って考えていくべきだと思うんだがな。

「島」

島の良さ 知るは隣の 国ばかり

2月16日(火)曇り時々雪
先日、「モネ展」を見に行って思ったこと。
世界的に有名な画家の展覧会をいくつかの都市をまわって開催するのは大変なことなんだろうな。まず借りだすのにかかる費用が莫大だろうし、その輸送にもまたかなりの費用と手間がかかる。だからそうそう大量に展示はできない。そうなると肝心の主役の作品は少なくなって、同時代の別の画家やら影響を受けた画家などの作品で隙間を埋める。あるいは主役の作品でも比較的マイナーなもので数を増やす。 おそらくそんなパターンなのだろう。
なかなか大変なんだろうな。

「印象日の出」

本物の 前に佇み おもふこと
印象日の出 かくも小さき

2月11日(木)晴れ
ちょうど祝日が晴れになってくれた。しかも気温も高い。これは山に登らないともったいないということで、今回は糸島の「白糸の滝」から登る「羽金山」へ。
この山はそれほどきつい勾配を登ることなく稜線に出ることができる。そこからは縦走でまずは「河童山」にて昼食。ここから「羽金山」の電波塔がよく見える。それにしても座っていると背中が熱くなるくらいの陽気でまるで春の登山だ。



そこから15分ほどで「羽金山」到着。ここはセキュリティが厳しく、ゲートがあって山頂まで自由に入ることはできない。だがゲートにインターホンがあって、そこで中に入りたい旨伝えると入れてくれる(ただし中で住所・氏名・電話番号を記帳しないといけない)。なんだか山の上にある人の家に遊びに来たようで面白かった。









ちなみにこの電波塔は日本の標準の時間
を発信しているらしい。大事な役目があるんだな。セキュリティも厳しいわけだ。

それにしてもぽかぽか陽気の登山で楽しかった。もうこのまま春になって欲しいがそうもいかんのだろうな。

「羽金山」

インターホン 押して登頂 羽金山

2月7日(日)雪のち曇り
帰省中の姫が昼の便で金沢から戻るので、迎えに行ったついでに九州国立博物館の「黄金のアフガニスタン」を見に行った。
20世末にアフガニスタンはソ連の軍事介入や内戦で首都が危機に陥った。受け継がれてきた貴重な文化財を守る為、博物館員たちは命がけでそれらを秘密の場所に移して隠した。それが21世紀に入って公開されたのが今回の展示らしい。博物館員(通称:鍵の番人)たちは約15年隠し通したらしい。
こういう勇気ある人々の壮挙により、紀元前にまで遡る貴重な人類の財産が守られ、次の世代に残すことができたということは本当に賞賛すべきことだと思う。そう思いながら見ると感慨もひとしお。より一層感動できた。
遠い将来の子孫たちも鍵の番人たちに感謝することだろう。

「次の世のため」

守られし 人の歩みの 数千年
我が身を賭して 次の世のため

2月2日(火)曇りのち雨
夕方、個人のお客さんを訪問した。おばあちゃんの一人暮らしで今回で2度目。 骨折してしばらく入院してた間に家族が掃除に来てルーターの配線をいじったらしく、インターネットが繋がらなくなったとのことだった。
おばあちゃんは買い物に行くのが大変だからと日用品も全てネットで購入する。だからインターネットがつながらないと困るわけだ。
「もうどうしようかと思って・・・」と言いながらぽろぽろと涙を流すおばあちゃん。見ててこっちまで泣きそうになった。すぐに使えるようにしてあげると、「どうもありがとう。本当に助かりました・・・」とまた命でも救われたかのように泣きながらお礼を言う。もうなんか肉親のような感情が湧いてしまった。
今日久しぶり自分が人の役に立っているという実感を味わった。

ちなみにおばあちゃんは足が悪くてもう旅行に行けないからと、グーグルのストリートビューを見るのが楽しみらしい。その話をした時のおばあちゃんの笑顔が忘れられない。

「助ける」

われいまだ 助ける人で あることを
助けた人の 笑顔見て知る