この日記は全てノンフィクションであり、登場する人物・団体名などは全て実在のものです。
10月
10月31日(金)曇りのち雨
夜、姫と「松幸」に行った。久しぶりの純和風。やっぱり会席はいろんな和の味が楽しめていいもんだ
今まで行った国のことを思い返すと、どの国もまず自分の国の食べ物を一番よく食べていたという印象が強い。イタリア人が中華とかハンバーガーとか食べてるのを見た記憶がない。本来それが自然なことのはずだ。日本人はいろんなもの食べ過ぎだ。もっと和食を楽しむべきだな。

今日で10月終わり。2014年がもうあと2ヶ月だなんて!焦るなぁ。悔いのない一年にするためにラストスパートだな。

「味」

いまさらに 生まれし国の 味によふ

10月28日(火)晴れ
お袋が通院の日だったので途中で仕事を抜け出して病院へ。経過は順調。次回、年明けにもう一度念のため検査して終わりとのこと。本当に安心した。
今日はワシの誕生日だったのでお袋と付添に来てた姉貴からプレゼントを貰った。なんとまぁ、申し訳ない。見舞いに行って見舞われた気分だ。祝ってくれる家族がいる幸せをしみじみ。

夜は姫が祝ってくれた。2人で大好きな「ガエターノ」へ。本当に満腹になるまで食べた。ワインもたっぷり。やっぱりここはクオリティが高い。本場イタリアに負けてないと思う。雰囲気もイタリアだから、またイタリアに戻ったような気分になった。店の外にはアルノ川が流れているような気がした。だが店内を見まわすと日本人しかいないのでなんだか不思議な光景だった。

家族に感謝。姫に感謝。とりあえず46歳の1年も全力で生きるしかない。もう無駄にはしない。

「四十六」

四十六 大事な人に 祝われて
無駄にはできぬ おのがひととせ

10月27日(月)晴れ
朝髭を剃ってたら髭剃りの網の部分が破れた。アマゾンで検索したら売ってたので注文したらなんと夕方に届いた!すごい時代になったなと思った。いつの日か店舗というものが薄い存在になっていくのかなとちょっと思った。
いやそれにしてもたまげた。

昨日、朝ランで10km。今月の残りは外食が続くのでこれでおそらく走り納め。旅行でかなり日数を制限されたが、110km走れた。そろそろ寒くなってきたのでトレーニングウェアも衣替えかな。

「晩秋」

晩秋や 走り始めの 寒さかな

10月25日(土)晴れ
数日前にもえちゃんからラインが入った。「大学のミスコンに出ることになったけん、投票に来て!」。マジかい!!大したもんだ。これまで超天然で周囲を爆笑させる人生だったもえちゃんがミスコンに出場だなんて!あぁワシが悪かった。福岡吉本に入れなんて言ったワシが悪かった。許しておくれ。HKTに入るべきやったな。
そういうわけで仕事を終えてから福岡女学院のキャンパスに行って投票して来た。そしたら姉貴も姉貴の友達も投票に来てるし!もえちゃんの対馬の友達も来てた。
ステージ上にいるもえちゃんを見て、なんともいえない感動。こないだまで首が座ってなかったのに……。
輝いてるもえちゃん。これからも輝き続けておくれ。



「姪」

としふりて 姪の姿に 涙かな

10月22日(水)雨
タバタ式トレーニングなるものがあると聞いた。何らかのワークアウトを20秒間続けて10秒休む。この繰り返しを8回繰り返すというものだ。合計するとわずか4分のトレーニングだ。そんな4分ぐらいで何が鍛えられるというのだと半信半疑だったが、ものは試しと8種類のメニューを自分で決めてトライしてみた。するとこれが結構追い込まれるんだな。10秒の休みはあっという間になくなり、次のメニューに全力でトライする。終わってみると結構へとへとになってる。なるほどこれなら確かに鍛えられた感がある。今日はこれを2クールした。
これから時間のない時に時々やってみようと思う。

※やってみようかなと思う人は無料のアプリ「タバタタイマー」を使うことをオススメします。

「4分間」

筋トレの 効率極まる 4分間

10月19日(日)晴れ
イタリア・オランダの旅 番外編。
 
・機内食
KLMに初めて乗ったが、行きの飛行機で出た機内食がおいしくてビックリ!機内食がおいしいわけないという先入観があったせいかもしれないが、初めて完食した。
こりゃ帰りも楽しみだなと思ったが、帰りはまずかった。ほとんど手を付けなかった。どうも味が安定しているわけではないらしい。
 
・お医者様は・・・
帰りの飛行機の中で具合が悪くなった人がいた。そして初めてあの「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか?」の機内放送を聞いた。そしたらあっちからもこっちからも来るわ来るわ医者ばっかり。そんなに医者乗っとったんかい!看護師も来たから病人のまわりには医療関係者が結構いて、後から来る医者にはフライトアテンダントが丁重に断っていた。あの様子なら10人ぐらい具合悪くなっても対応できそうだった。
 
・治安
去年、ローマに行った時は明らかにワシらをターゲットにしている怪しいやつらを何度か見たが、今回のフィレンツェでは全く身の危険を感じなかった。街を歩いているのがほとんど観光客だったせいかもしれない。
なんでもイタリアは南に行くほど治安が悪いという話があるらしい。なんだかそう言われるとまだ見ぬナポリに行くのが怖い気もする。
 
・橋の駐車場
橋の上に車が並んでるから渋滞かなと思いきや、なんと橋の上に縦列駐車していた。時間の制限を守れば無料で駐車できるらしい。だがかなりみんなギリギリに駐車しているから入れるのも出すのもある程度の腕が必要だ。どうもみんな他の車のバンパーにあてながら強引に出し入れするらしい。そういえば高級車は止まってなかった。
 
・セルフィー
長い棒(セルカ棒)の先にスマホを付けて自撮りする、いわゆる「セルフィー」と呼ばれる人たちがたくさんいた。日本ではあまり見ないが、フィレンツェではいろんな国の人がやっていた。日本は遅れているのか?
今までは観光地で「すいません、写真撮ってもらえますか?」と頼んでいる風景をよく見たが、今回はほとんど見なかった。自撮りする人ばかりだった。これでまた一つコミュニケーションの手段が減ったようだ。

「おもひで」

帰りきて おもひかへすも 楽しきや
記憶の中の フィレンツェ歩く

10月13日(月)晴れ
朝4時起床。タクシーで空港に向かい、6時半の便でフィレンツェを後にした。チャオ、フィレンツェ。次はイタリア語話せるようになってから来るよ。
1時間40分ほどのフライトで乗り換えのアムステルダムに到着。ここで5時間の待機。買い物したり、本読んだり。
そして10時間のフライトで福岡に戻った。
 
今回もまた愛しきイタリアの魅力にたっぷりと浸かってきた。美食、歴史、芸術、自然……本当に飽きさせない国だ。おそらく生きている間行ける限り繰り返し行くことになるだろう。そのためにもイタリア語の習得を急がなければいけないと改めて思った。
ミラノ、ピサ、ナポリ、シチリア……まだまだ行きたい街がたくさんある。夢は続くのだ……。
 
そんな感じでオランダ・イタリアの旅は終了。
 
「イタリア」
 
イタリアや なぜに遥かな 海の果て 
月に一度は 行きたきものを
 
10月12日(日)晴れ
フィレンツェの最終日。今日のメインはフィエーゾレ。古代エトルリア人が築いた山上の街。そして古代ローマの遺跡が残る街。
フィレンツェからバスで30分ほど。終着地点がフィエーゾレだ。ここにある教会からの眺めはフィレンツェを一望に見下ろせてそれはそれは絶景だった。
 




古代ローマの円形劇場や浴場、神殿の跡を散策できるようになってるエリアもあり、古代ローマ人の生活風景に思いを馳せることもできる。 2時間もあればじっくり見れるほどの狭さだが、非常に充実してるエリアだ。フィレンツェとはまた違う魅力に溢れていた。



フィレンツェに戻ってからは買い物タイム。そして日曜日なので骨董市も覗いてみた。姫がいい買い物ができたと喜んでいた。



買い物でゲットした物を宿に置いて身軽になってから、サンタクローチェ教会へ。ここは多くの歴史上の人物が眠るところだ。豪華な墓が聖堂内にたくさん並んでいた。

これは ガリレオ。



これはミケランジェロ。
 

 
これはダンテ。
 

 
これはマキャベッリ。
 

 
そしてこれはロッシーニ。
 

 
そうそうたる人々だ。教会の規模も大きく、本当に予想以上の感銘を受けた。

その足でアルノ川の対岸に渡り、山の中腹にあるミケランジェロ広場まで徒歩で登った。広場はすごい人だかりだった。 広場からはこれまたフィレンツェの街が一望できた。たそがれのフィレンツェが今回の旅のラストシーンというのはなかなか乙な演出だなと思った。さすがは姫だ。
 


山を下りてから、本格的なコース料理を楽しんで満腹状態で宿に戻った。 今日はかなり歩いたので結構疲れたが、非常に濃い一日だった。
明日は早朝の飛行機便でフィレンツェを後にするので早めに寝た。
 
そんな感じで6日目終了。
 
「フィエーゾレ」

エトルリア 古代ローマの 夢の跡
今しフィエーゾレ とわのひととき
 
10月11日(土)晴れ
春からイタリア語を勉強したので今回は是非実地研修をと思ったが、こっちがイタリア語で話しかけた途端、「あ、こいつはイタリア語はダメだな?」と悟られるみたいで、英語で返ってくる。だから結局英語のやりとりになって全然使えない。 イタリア人は小学校で英語を習い、みんな話せるようになってるからどちらでも構わないのだ。 もっと修行して出直して来いということだな。昨日の料理教室でもアントネッロさんとは全然会話ができなかったのも悔やまれるし、次回は是非話せるようになってから来よう!
 
今日の最初の目的はドゥオーモのクーポラの上に登ること。いつも入口は長蛇の列なので、張り切って開館30分前に行った。それでも3番手だった。
時間になって登り始めると、先頭の太ったおじさんが苦しそうに「先に行って」と譲ってくれた。またしばらく行くとチャイニーズの女の子2人組が息を切らせて「先に行って」というので、なんとワシらはこの日一番でクーポラの上に登ることができた。
上からの眺めは昨日のジョットの鐘楼を凌ぐ素晴らしさで、今まさにフィレンツェのてっぺんにいるという感動に打ち震えた。下りるのが名残り惜しかった。
 

 
最初から体力使ったのでここで早いけどとりあえず休憩ということでクーポラが見えるカフェでお茶した。 ここは図書館の上にあるカフェで、クーポラがきれいに見える絶好の場所だ。全く姫はすごい所ばかり見つけてくるもんだ。
 

 
その後は数軒買い物してから、バルジェッロ美術館へ。ここは彫刻がメインの美術館だが、目玉はなんといってもドナテッロとヴェロッキオのダビデ像の競演だ。
これはドナテッロによるダビデ像。
 

 
こちらはヴェロッキオによるダビデ像。モデルは少年時代のダ・ヴィンチと言われている。
 

 
どちらも素晴らしかった。これで3種類のダビデを見たわけだが、それぞれが異なる強烈な印象を与えてくれた。
 
お昼は簡単にフラテッリーニのパニーニ。これがまたうまいわけで、店を探す時の目印が店の前に集まる人の群れというのも理解できた。 この人たちの店に世界中の人がパニーニを食べに来るわけだ。売上は安定してることだろう。それでも店を大きくしたり、2号店を出したりはせず、そのまま次の世代に引き継ぐのだろう。変わらぬ味で歴史を刻む。本当の老舗の意味を教わったように思った。
 
午後は買い物であっちのお店、こっちのお店……。
ワシも旅の勢いでちょっといい靴を買ってしまった。手作り靴職人の店、マンニーナ。靴を買った後、工房を見学させてくれた。そこに日本から修行に来てる人が作業していた。今男女1人ずつの日本人が修行中らしい。はるか海を越えて靴職人の修行に来るなんて、見上げたバイタリティだ。
日本にも多くの客がいるそうで、説明してくれたイタリア人の店員さんも近いうちに日本に行く予定だと言っていた。
 
今日の夕食はアパートのキッチンで姫が腕をふるうというので、食材をいろいろと買って帰った。 ポルチーニのパスタやら生ハムやらトリュフとフォワグラのパニーノやらサラダやらチーズやらをつまみにピノグリージョを1本開けた。最高のディナーだった。
 
そんな感じで5日目終了。
 
「赤いまち」

いとおしき 歴史と文化の 赤いまち

10月10日(金)晴れ
今日は山の料理教室へ参加する。その教室は姫が録画したNHKの番組に端を発する。トスカーナの山奥で暮らす日本人のちほさん、イタリア人のアントネッロさん、娘さんのゆきちゃんの3人の四季を通じた暮らしを記録した番組で、ワシと姫はよく見ていたのだ。 その後、料理上手のアントネッロさんが料理教室を開いているという情報を姫がゲットしたので、参加することにしたのだ。

フィレンツェから電車で30分ほどで目的地の駅バーリアに到着。そこにテレビのままのちほさんが迎えに来てくれてた。 ワシらの他にも女性2人組が参加ということで、5人車に乗り込んで山の家へ。
トスカーナの山奥とは聞いていたが、予想以上の山奥で驚いた。山の家は中も外もテレビで見たまま、そこでにこやかに迎えてくれたアントネッロさんもそのまんまだった。まるであの番組の中に自分も入りこんだような不思議な感覚だった。
料理はちほさんの通訳で、アンティパスト、プリモピアット、セコンドピアット、ドルチェとフルコースで教わった。(料理に関しては「ぽごしっぽよ」参照)
 

 
完成後、ワインを飲みながらみんなで楽しく頂いた。夢のようなひとときだった。 ゆきちゃんもちょうど学校を終えて帰ってきた。テレビの時より大きくなったリアルゆきちゃんにも会えてまた感動。
楽しい時はあっというまに過ぎて、帰る時は名残り惜しかった。
 

 

 
電車でフィレンツェに戻った時はまだ体力に余裕があったので、ジョットの鐘楼に登った。巨匠ジョット・ディ・ボンドーネによるこの美しい鐘楼は高さ約84m。ドゥーモとともにフィレンツェのシンボルだ。 かなり階段がきついと聞いてたので覚悟していたが、意外とあっさり登れた。日頃のジョギングのおかげかもしれない。 鐘楼の上からの眺めはそれはもう格別。赤い屋根に埋め尽くされたフィレンツェの街を一望できた。
 
鐘楼を下りた後はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂へ。ここは1296年から140年以上をかけて建設されたそうだが、実は3代目らしい。昔の聖堂は礼拝堂の下にあり、今でもその発掘された一部を見ることができるので、そこも見学した。これは実に興味深い体験だった。
 

 

 
さすがに疲れたのでここで宿に戻って休憩。 夕食は宿のオーナーに聞いたオススメのピザ屋へ。フィレンツェにいながナポリのピザというのもなかなかおつなもんだ。ビールを飲みながらペロリと。
そして帰り道はまたジェラート。昨日とは違う店で。今日の店もうまかった。全て宿のオーナーのオススメ。
 

 
そんな感じで4日目は終了。

「トスカーナ」

幸せの かたちがひとつ トスカーナ
自然とともに 家族とともに

10月9日(木)晴れ

今日はフィレンツェ満喫の一日。 朝8時前から行動開始。
まずはアカデミア美術館のあの有名なダビデ像を見に。ワシらが到着した時には既に開館待ちの行列。開館してからも一気に入れないので結構待たされた。 でも入ってからあの巨大な像の前に立てばいくらでも待つ価値があることを知らされる。まさに人間の作りうる美の集大成という印象を受けた。
多くの芸術家がダビデ像を作ったが、ミケランジェロのダビデ像はゴリアテとの戦いの後の栄光の瞬間ではなく、戦う前の緊張感を表現しているところが特徴だ。まさに外敵に対して毅然たる姿勢を示すフィレンツェそのもののようだ。
まさに男として完璧な肉体を見上げながら、筋トレでこういう身体を目指そうと密かに思った。



次はサンマルコ美術館。ここは元はコジモ一世が作らせた修道院で、フラ・アンジェリコの
作品を見ることができる。仲でも目玉は「受胎告知」だ。階段を上った先の廊下の壁に描かれてあるが、その階段をまさに天国への階段に感じるほど崇高な美しさに包まれていた。





ここで小腹が空いたので中央市場に寄ってキッシュを食べたが、その後市場の中をうろついている時にモツのパニーニで有名な店を発見。ついでにそこで昼食にした。



午後はサンロレンツォ聖堂へ。ここにはあのコジモの墓がある。地下に降りるとまるで上にある教会を支えるかのような大きな柱のような墓があったが、それがコジモの墓だった。目の前にあの偉大なるコジモが眠っているのかと一人感慨に浸りながら眺めた。



歩き疲れたので一度宿に戻って休憩。元気回復してから買い物してまた休憩。
夕方はサンタマリアノベッラ薬局へ。ここは現存するものの中では世界最古の薬局で、その歴史は13世紀にまで遡るという。ここで修道僧たちが薬草から薬剤を作っていたらしい。今買うことができるスキンケアなどの商品は昔のレシピそのままの製法で作られているというから驚く。つまり昔の修道僧たちのノウハウが未だに通用するということだ。大したもんだな全く。

今夜の夕食は日本ではあり得ないボリュームのビステッカ!なんと1kgが最小単位というからイタリア人の食欲に驚かずにはいられない。1kgは無理なのでせめて800gにしてと無理に頼んで減らしてもらった。それでも多いかなと思ったが、これがまた美味しくて結局二人でほぼ完食してしまった。
それと一緒に頼んだ生のポルチーニのグリルはそれ以上に感動するうまさだった。これでようやくポルチーニが珍重される意味がわかった。なるほど乾燥では味わえない感動が生にはあったんだな。

お店を出た時は完全に満腹だったが、ジェラートは例外ということで食べながら宿に戻った。

そんな感じで3日目は終了。

「ダビデ」

筋トレで 目指す身体は ここにあり
ミケランジェロの ダビデのごとく

10月8日(水)曇りのち晴れ
なぜかワシはあまり時差ボケというものをしない。普段から何時であろうとすぐに寝ることができるからかもしれない。この日もいつもと変わらない感覚で6時起床。
7時から朝飯を求めて付近を徘徊するが、開いてる店はなし。オランダ人は朝飯は外では食わないようだ。
朝飯は諦めて西教会まで運河沿いに散歩した。西教会はオランダで最大のプロテスタントの教会らしい。高くそびえる85メートルの塔が特長的だ。築は1631年というから驚く。アムステルダムの歴史を長年見下ろしているわけだ。
 
 

西教会から運河沿いに行くとすぐにアンネ・フランクの家がある。外から見上げただけだったが、ここで軍靴の音に怯えながら暮らしたのか、西教会の鐘の音を聞いて暮らしたのかと思えば感動から自然と涙も浮かぶ。緩やかな運河と教会の鐘の響き、怯える少女の感性をいくぶんか慰めたことだろう。
 

 
西教会をぐるっと回ってホテルに帰ろうとした時に開いてるパン屋を発見!そこでパニーニとワッフルと熱いコーヒーにありついた。そのうまいこと!西教会の塔を見上げながら堪能した。
 

 
一度ホテルに戻ってから、次はアムステルダム国立美術館へ。
動き出した朝のアムステルダムの風景はとにかく自転車!道が狭く車が少ない分、とにかく自転車が多い。オランダ人は巨大だが、ハンドルの高い独特の形の自転車に背筋を伸ばして乗るから余計にでかく見える。まるで巨人の国にいるようだ。
 
アムステルダム国立美術館の目的は何か?それは今回の旅の目玉の一つ、レンブラントとフェルメールに会いに行くことだ。
美術館の中の大きなホールの一番奥でそれはワシらを待っていた。レンブラントの「夜警」だ。キアロスクーロによる強い光と濃い影が絵全体にドラマティックな演出を与えている、レンブラント絶頂期の傑作だ。その名画と同じ空間にいるという感動はとても表現できるものではない。この絵を見たゴッホが、「魔法使いと呼ぶしかない」と言ったそうだが、それが全く大げさには感じなかった。
 

 
「夜警」に続くホールの左手にフェルメールが5つも並んでいた。ワシの最も好きな画家フェルメール!その絵が5つも見れるなんて!そのタッチやフェルメールブルーの美しさをたっぷりと観察した。
フェルメールは奥さんの実家が裕福だったので絵具はいいものをふんだんに使えたらしい。中でも高価なラピスラズリから作るウルトラマリンはフェルメールブルーとしてその絵の大きな特徴となった。それは美しく優しい青だ。
 

 
オランダ絵画をたっぷりと鑑賞した後、ホテルに戻り支度して空港へ。チェックインを済ませた後ランチした。ここでコロッケの自動販売機を発見!すかさず買う姫。ここのコロッケも美味しかった!
 
KLMで2時間のフライトでフィレンツェ到着。タクシーで宿へ。今回泊まるのはホテルではなく、日本人が経営してる滞在型のアパート。キッチンも洗濯機もあるので長期でも大丈夫。まるでフィレンツェに住んでるかのような気分を味わうことができる。センスよくリフォームされた室内は快適そのもの。これでホテルよりかなり安いとくるから言うことなし。日本人には絶対オススメ。
 
Il nido della civetta ツーリストアパート・フィレンツェ
http://ilnidodellacivetta.jimdo.com/
 

 
アパートはベッキオ橋の近くという絶好の場所にある。荷物をといて一息ついた後、早速ベッキオ橋方面へ散歩した。
夕食は宿のすぐ近くの「デスコ」というお店。ここは宿の経営者ジュンコさんのオススメだけあって文句無しのクオリティ。ワインも最高だった。

そんな感じで2日目は終了。

「オランダ絵画」

オランダの 絵画の前に 言葉なし 
光の魔術 優しきブルー
 
10月7日(火)晴れのち曇り
人生で一度はイタリアを体験しておこうと思い、去年の5月の連休でローマ、オルビエート、フィレンツェ、マラネロ、ベネツィアを堪能したが、これがどうもワシらのスイッチを入れてしまったようだ。その芸術、歴史、料理、自然、建築に完全に魅せられて、また今年も行くことになった。

朝8時に家を出て空港へ。秋晴れの中、KLMで日本を後にした。
乗り換えでオランダはアムステルダムに1泊した。午後遅くに到着したが、あまりの寒さに驚いた。着るものをフィレンツェしか想定してなかったのは失敗だった。もはや日本の冬と同じくらい。
バスとトラム(路面電車)を乗り継いで今日の宿ハンプシャー ホテル アムステルダム アメリカンへ。ここは1900年築の建物を利用してるらしく、 外観はそれは重厚感のある歴史的建造物だが、中は改装されて現代的だった。
外は寒いのでホテルのレストランで夕食にした。姫がどうしても名物のコロッケが食べたいと主張するがランチのメニューにしかなかった。それでもあきらめきれないので店に頼んで特別に作ってもらった。 基本的に日本のコロッケと同じだが、皮の部分が歯応えがあって美味しかった。無理に頼んだ甲斐はあった。

そんな感じで1日目は終了。



「過ち」

オランダの 北緯忘れて 薄着かな

10月5日(日)曇り
火曜日から一週間イタリアに行くのでスケジュールの調整が大変。日曜も休んではいられない。ここしばらくはずっと休まず働きづめ。これもイタリアでのんびりするためと思えばがんばれる。
旅行前の予習もしないといけない。今回はイタリアはフィレンツェのみ。あとは乗り換えの関係でオランダのアムステルダムに1泊するのみ。1ヵ所に腰を落ち着けてその街をじっくり楽しむというのは前からやりたかった旅行の形だ。宿もすっと同じ所。その方がその街の素顔が見れるような気がする。
1泊だけのオランダも楽しみだ。レンブラントとフェルメールを見に行く。やはり本物を鑑賞しに行くというのは興奮ものだ。絵の前から離れるのがさぞつらかろう。
トレーニングも1週間空くので今月に入ってからの5日間は普段以上にがんばった。4日連続で10km走って今日は筋トレ。かなり疲労が蓄積してるのがわかる。飛行機でひたすら寝て疲れをとるつもり。
さて、どんな旅になるかな?
 
「絆」

かくまでも こころ奪いし 国あらん
絆を探す 旅やふたたび